創部当時のラグビーは3・2・2・の慶応システムの全盛時代で、一口に言えば、スクラムは押すより押されないように頑張り、すばやくヒールアウトし、スクラムサイドの突破から、スクラム周辺の小競り合いとなり、タッチキックで地域をとるのが主な戦法であった。
そうした旧時代のラグビーに飽き足らず、何かを模索していたとき、近代ラグビーとは、かくあるべきものだとその実物を見せ、教えてくれたのが昭和2年秋、東遊園地で行われた京都大学対神戸外人の試合であった。
当時の京大は、技と力とスピードを兼ね備えた素晴らしいチームであった。鍛えに鍛え抜かれた丸刈り頭のフィフティーンは、今もオールドラグビーファンの語り草となっており、戦前の日本ラグビー界を代表する最強のチームであったとさえ評する人がある。対する神戸外人はインターナショナル級の強豪をそろえ、両雄互いに譲らず、手に汗を握る大接戦を展開した。東遊園地はいっぱいの 観衆に取り囲まれ周辺のビルの窓から屋上まで人また人であふれ、南側のクラブハウスのベランダに陣取る外人応援団の「コウベ!コウベ!」の声援に応酬する歓声に、どっとわきあがり、神戸ならではのなごやかなうちにも、緊迫した国際試合であった。そのプレー一つひとつが驚異であり、新鮮で印象的であった。
京大ラグビーに魅せられ、その高度なラグビーを学びとろうと、はるばる京都まで京大対同志社戦を観戦に行ったこともあった。特に、京大チームには多くのの一中先輩達が在部活躍されていたので一層親近感もあり、明けても暮れても京大、京大と・・・。ついに京大熱が昂じ、ダークブルー(濃紺)のユニフォームを作って京大にあやかろうというところまで発展した。これが現在の神戸高校ラグビー部ユニフォームの原点である。
伝統は受け継がれる・・・濃紺のファーストジャージー